文化財保存修復学科Department of Conservation for Cultural Property

原那菜|置賜新四国八十八ヶ所霊場の調査
東京都出身
宮本晶朗ゼミ

 置賜新四国八十八ヶ所(以下、置賜新四国と記す)とは、置賜地方に創られた四国八十八ヶ所霊場を模した民間信仰である。1896年(明治29)に創られ、小国町を除いた置賜地方の7市町の88のお寺とお堂を選び巡礼が行われていた。しかし今、置賜新四国をインターネットで検索してもその情報は一切出てこない。記録は、置賜新四国に関する写真の撮影、寺院?堂の正面の写真、御詠歌の写真、各札所の現在の住所、寺院?堂が今も活動をしているかどうか、また札所とされている寺院の間には交流はあるのか、についておこなう。
 置賜新四国八十八ヶ所(以下、置賜新四国と記す)とは、置賜地方に創られた四国八十八ヶ所霊場を模した民間信仰である。1896年(明治29)に創られ、小国町を除いた置賜地方の7市町の88のお寺とお堂を選び巡礼が行われていた。しかし今、置賜新四国をインターネットで検索してもその情報は一切出てこない。記録は、置賜新四国に関する写真の撮影、寺院?堂の正面の写真、御詠歌の写真、各札所の現在の住所、寺院?堂が今も活動をしているかどうか、また札所とされている寺院の間には交流はあるのか、についておこなう。
 置賜新四国は、奥村幸雄によって1982年(昭和57)と1997年(平成9)の2回にわたって調査研究が行われ、1896年(明治29)8月に発起人梅津伊四郎が霊場を希望したことで開基されたことが判明している。奥村の論文の中には置賜新四国の各札所が記載されているものがあり、それを基に住所を調べ、聞き取り調査を行った。その結果、88ヶ所あったお寺?お堂は現在74ヶ所に減り、その内の53ヶ所のお寺?お堂が置賜新四国を知らなかった。中には置賜新四国の御詠歌があることで名前だけは知っていた寺もあった。置賜新四国が衰退した原因として、四国八十八ヶ所の本尊を基準に札所を選んだことで、札所の順番に周ろうとすると距離が離れている、ということが考えられる。歩いて周るのは難しいことと、寺院?堂の管理者さえも置賜新四国を認識できていないことは問題で、まず管理者に置賜新四国を知ってもらうことが重要ではないかと考えた。改善案の 1 つとして置賜新四国の詳細、地図などを記載した冊子を作成し、配布した。

1.置賜新四国第26番天神寺御詠歌

2.置賜新四国第44番塩田行屋御詠歌

3.置賜新四国第46番相応院御詠歌