文化財保存修復学科Department of Conservation for Cultural Property

[最優秀賞]
小口萌愛|明治から大正時代における紙産業の変革 和紙の原料と製法を中心に
長野県出身
杉山恵助ゼミ

 近年、文化庁により近代の文化財の指定が進められ、紙資料についても近代のものが保存修復の対象になっている。近代の紙資料は材質が多様であること、量が膨大であることから、近代以前のものと異なる性質を持ち、保存修復上の課題にもなっている。?明治時代に西欧から印刷やペン書き、機械製紙産業が流入したことで、日本の紙産業は目まぐるしい変化を遂げた。紙の需要が急増する中、木材パルプを原料に機械で抄いた洋紙が量産され、人々の生活に浸透していった。洋紙の流布は日本の伝統的な手漉き紙(和紙)にも影響を与え、この時代の変容の跡は現在の和紙にも残っている。?しかし、この時代の和紙産業の変化について、詳しくまとめられた文献は確認できない。そこで本研究では、明治??正時代における和紙の変化について、文献調査により整理することを目的とした。国立国会図書館デジタルコレクションを用いて、当時の技法書や地域史、統計資料等を収集、閲読し、膨大な記述内容を整理して和紙の変遷過程を読み解いた。?調査の結果、和紙の変化として、紙の質に関わる「原料」、生産性に関わる「製法」の2点が確認できた。原料面では、原料を煮る煮熟(しゃじゅく)という工程において明治12年ごろから苛性ソーダが用いられるようになったことで、三椏や稲藁、マニラ麻が普及した。さらに、機械製紙産業で用いられていた木材パルプが明治20年代から手漉き和紙にも混入され始め、紙質が多様化した。製法面では、前述した苛性ソーダの使用により、煮熟および原料の精選工程である塵取りの所要時間が短縮された。また、高知県の製紙家である吉井源太が開発した「連漉器(れんすきき)」という大判の漉桁(すきけた)が明治初年から各地に普及し、従来は一度に一枚または二枚のみ漉いていたところ、半紙六枚、または小判紙八枚を漉くことが可能になった。漉桁の大判化により生産性が向上するとともに、この時代から和紙の寸法が大きくなり、現在まで繋がる製法となった。これらの改良製紙法は高知県の技術者から各地域に伝習された記録が残っており、今回の調査でも高知県から愛媛県、岐阜県の順に技術の伝達が行われたことが確認できた。?苛性ソーダおよび木材パルプの導入は、和紙の品質低下を招く要因となった。しかし、この時代の試行錯誤のおかげで和紙が現在に受け継がれたこともまた事実である。


杉山恵助 教授 評
和紙は、日本の文化として広く愛され、修復の分野では世界中で利用されている。その和紙の定義について考察したことはあるだろうか?千年以上も愛され続けている和紙が、過去と同一であるかどうかは興味深い課題である。この問いに挑戦し、多くの文献や数値を駆使して、小口さんは明治時代から大正時代にかけて和紙がどのように変容してきたかを解明した。和紙は変わらず伝統的に引き継がれているように見受けられるが、実際には時代の要求と流れの中で、新しい技術の流入と発明を通して、大きな変遷があったことが示された。その時代背景と共に提示された情報は、修復の分野において貴重な資料であり、極めて重要である。