歴史遺産学科Department of Historic Heritage

髙橋香乃|近世の山形盆地の水の維持管理について-蔵王成沢地区を事例として-
宮城県出身
岡陽一郎ゼミ

 現在の村山地域は、近世においてはさまざまな藩の支配が入り組んだ、非領国的な地域であった。この特徴は、山形盆地の水利に大きな影響をもたらし、普請、分水のやり取りで問題を抱えていた。そのような状況にも村は立ち向かい、さまざまな決まり事を定めていた。
 本稿で対象とする成沢の用水は、近くに須川があるものの、この河川は蔵王山の鉱毒水を含んだ酸性の酢川が流入しているため、農業用水として利用できない川とされており、古くから村の用水としては、瀧山山麓の二ツ沼の水を利用していた。(図1)
 先行史の『成沢土地改良区史60年のあゆみ』では、溜池の普請や水利慣行についてまとめられている。しかし、溜池の普請、水利慣行での藩?周辺の村との関わりが言及されていない。また『農業水利と国家?ムラ』では、「山形盆地西南部地域の水利を開発した者及び協力した村の私的性格が強い水利施設として始まり、五堰水利を横の統制とすれば、溜池灌漑地の水利は縦の統制のもとにあった」と述べており、山形盆地における、馬見ヶ崎流域や須川西南部の水利施設、及び普請に関しての藩との関係性や、村同士の関係性についての分析がされている。しかし本稿で対象とする蔵王西麓における溜池群には細かく触れていない。
 この点を踏まえ、近年文書が多く確認された山形市蔵王成沢地区の事例を分析し、江戸期の成沢村の普請についてまとめ、成沢村が藩、隣村とどのようにやり取りしていたのか分析をする。また馬見ヶ崎川流域地域、山形盆地南西部地域、金井六か村、瀧山地域の事例と比べ、近世の成沢村の水利の特徴を明確にする。
 分析には二ツ沼の普請の計画書である、「御溜池御普請目論見帳」などから、溜池の普請の実態を探る。(図2)

1.成沢の位置と溜池の位置

2. 文政12年目論見帳表紙