歴史遺産学科Department of Historic Heritage

佐々木愛花|まつりで繋がる人と人 ~島田飴まつりを事例に~
宮城県出身
志村直愛ゼミ

目 次 島田飴伝説と概要/調査?考察/結果?展望

 島田飴の伝説が生まれた背景には、約400年前の江戸時代の元和年間(1615~1624年)まで遡る。
 「年の暮れの14日、吉岡八幡の神主が、偶然通った文金高島田髷に結った道行く花嫁に一目惚れしてしまう。叶わぬ恋が原因の恋煩いで床に臥してしまった。これでは祭事が出来ないと心配した住民が、花嫁がしていた高島田の形を模した飴を神社に奉納し、神主がそれを薬として服用した所たちまちに快復し、それからというもの住民に深く感謝した神主は、毎年12月14日を吉辰の日として縁結びの催しを行うようになった。」とされている。(図1)(図2)(図3)
 現在町よりまつりの補助金を受け取っているが、伝承会会長が大和町議会議員である為、「公」と「民」が混在している。神事を行う神社、運営を行う伝承会、管理?援助を行う町役場の立場の力関係が均衡の状態ではないと、参加した会議を通じて感じた。また伝承会内でも会長の存在が大きく責務が多いとも感じた。町議会議員と兼任している会長は、まつりの全てを把握し忙しなく動いている。質問やトラブルがあった際には居ない事が多かった。前回までの反省を生かし、2023年度より本部テントより常に情報を共有する事になったが、会長に任せきりな仕事もありまだまだ仕事量が多いと感じる。
 今後は組織の「属人(化)」と、民間に力が傾く「俗人(化)」について、まつりに関わっていく中でより深く理解し議論し合わなければならないと考えた。常にこの「属人?俗人(化)」問題を念頭に置き提示する事で、より良く円滑にまつりの運営が出来るのではないかと考えた。
 祭りとは神の世界に触れる行事、または俗世との境目であると考えられる。現代では心の余裕がなく都会も田舎もただの「傍観者」になりつつある。そこで幼い頃より「当事者」意識を芽生えさせ、根本から現代の日本人に祭りを「寄り添わせる」事が出来れば、人口減少が叫ばれる昨今でも、日本における祭り文化の衰退は抑えられるのではないかと考える。

1. 島田飴(しまだあめ)

2. 文金高島田髷に結った道行く花嫁

3. 髷を模した島田飴