歴史遺産学科Department of Historic Heritage

小野寺笙子|高齢者の社会的役割から見る長寿祝い-おもに山形県を事例として-
岩手県出身
松田俊介ゼミ

 筆者が長寿祝いに関心を抱いたきっかけは、白鷹町での民具整理に参加し、そこで長寿祝いについての記載がされた盃を取り扱ったことだった(図1)。初めは長寿祝いの席で行われる人々の交流に着目し、そこから徐々に長寿祝い自体や当該の年齢を迎えた人々の社会的役割に注目するに至った。長寿祝いという風習は日本全国に存在する。長寿祝いは民俗学?文化人類学の見方からすれば、人生に節目をつけて成長を促すための儀礼、すなわち通過儀礼、あるいは人生儀礼としての側面をもつといえるが、この行事は人生においてどのような節目を表しているものか。通過儀礼として区分されるということは、その年齢を迎えた個人が社会的に別の範疇へ移行する、あるいはしていたということである。その社会的な意義はいかなるものか、そして今後どのようになっていくと考えられるか、どのような行事であるべきかについて論文内では考察した。
 長寿祝いが通過儀礼であるとすれば、伝統的な日本社会で還暦(60歳)等を節目として訪れる老年期に、人々は何を行っていたのか。各地の事例によれば、60歳前後の一定の年齢を迎えた高齢者は地域の神事や葬儀を司る祭祀者、あるいは知識を継承し共同体を導く長老の役割を期待される場合が多い。そうした人々を若い世代とある種「聖別」し、新たな役割を担う立場となったことを周知するのが長寿祝いの本来の意味合いだったのではないか。しかし現代では社会の劇的な変化のため、かつて高齢者の主要な役目であった祭祀や知識の継承の重要性は薄れている。こうした状況の中で執り行われる長寿祝いは、果たしてどのような行事として存在しているのか。これを調査するため筆者は、山形県内の老人福祉施設へのアンケート調査や山形市役所?山形県庁へのインタビューを実施した。その結果として、長寿祝い行事は上記で示したような通過儀礼としての意味合いはほぼ失っており、共同体の行事というよりはむしろ個人への祝賀の色合いが強まっていた。しかしそうした祝賀の一面に高齢者のクオリティ?オブ?ライフ(QOL)を高める効果があるのではないかと筆者は考察する。
 長寿祝い行事全般は共同体の手を離れ個人化する傾向が見られ、かつての意味合いもほとんど失っている。しかし高齢化が進み、高齢者が「ありふれた」存在となる現代でこそ、長寿祝いは再考されるべき行事なのではないか。

1. 筆者が調査した長寿祝いの盃