大学院Graduate School

芹澤菜月|未来に続く古民家 ?旧山辺街道沿いにおける古民家の価値評価と継承方法の考察?
静岡県出身
志村直愛ゼミ

山形市内には文化財に指定されていないにも関わらず、数多くの古民家や蔵などが現存している。それらは、大切にしたい人がいる反面、解体の一途を辿る状況である。山形の魅力の一役を担う要素を持っている建造物として評価されていないことや大切にしようとしている人に対する支援が薄いことは、山形の課題であると捉える。本研究では古民家を継承できない要因などを追求し、継続的な継承を図るための古民家活用案を提示した。

目 次 序論章/旧山辺街道の概要と古民家が現存した要因/旧山辺街道沿いにおける古民家の特徴とその価値評価/古民家を継承できない要因と課題/古民家を持続的に継承する方法の考察/終論章

 本研究では、山形県山形市北西部に位置する旧山辺街道沿いにおける古民家の価値評価とその継承方法について考察を行なった。
 旧山辺街道はかつて、出羽三山信仰の白装束が列を連ねた参道である。旧街道沿いの民家に、秋田の殿様の家臣や鶴岡の殿様が宿泊した痕跡もあり、主要街道だったことが伺える。その当時は、1里か半里ごとに茶屋などのお休みどころがあったと聞く。昭和に入ると、周辺地域から山形市街地に向かう人で賑わう道だった。生活道路としても重要な役割を果たしていたのである。
 その旧街道沿いには、148件の古民家が分布している。本研究内での古民家の定義は、「築50年以上経過しており、伝統構法または在来工法の住宅とする。また、住宅に付属する蔵や小屋、門、塀、井戸も1件の古民家として数える。」と定めている。これら古民家の中で、16件が明治、5件が大正、7件が昭和の竣工であることが分かり、特徴的な古民家もあった(図1)。さらに、当時の生業が分かる収納品があった。農家だった地域の古民家からは昔の農具や暮らしの道具が見つかった。農具の近代化によって大きな機械を収納することが出来なくなった小屋が解体され、収納できる小屋が現存している(図2)。現存している小屋の床には、藁打ちの跡が見られた。商家だった地域の古民家からは、当時の商売道具などが発見された(図3)。それら古民家の所有者の方々からは、維持管理状況や困っていること、古民家の今後の方針を聞き、維持管理の努力や古民家を守っていきたい思いが明らかになった。この努力や思いは賞賛すべきことである。旧山辺街道沿いの古民家には、地域の建築の歴史や文化を後世に伝えるだけでなく、守り繋いできた人々の想いや努力が古民家を今に伝えてきた価値がある。
 一方で、古民家の継承を困難とする、後継者不足や高額な維持管理費用、歴史的な建物に関する支援の知識不足、どこに相談したらいいか分からないなどの課題も明らかになった。それらから、次世代に対する地域での教育や次世代が継承し易くする古民家改修、高額な維持管理費用の支援?対策の普及が求められると考察した。その考察を元に、研究対象の古民家1件を対象に、旧山辺街道沿いにおける古民家継承のケーススタディを考案した。
 本研究を通して、山形市に眠る資産を再確認し、それがまちづくりにとってどのような役割を果たすかを考えるきっかけになったら幸いである。

1. 湾曲した天井が特徴的な蔵

2. 小屋の籾収納と竣工年と棟梁が書かれた柱

3. 酒屋の代帳