大学院Graduate School

[優秀賞]
李瑞娟|装潢文化財修理の裏打ちに使用される接着剤の比較 ーメチルセルロースの活用の検討ー
韓国出身
杉山恵助ゼミ

 装潢文化財とは紙や絹などの基底材に墨や絵具で描かれ、掛軸、屏風、襖、巻子などの形態に仕立てられたものを指す。紙や絹は非常に脆弱な素材であるが、伝統的な裏打ち技術で表装されると安定した保存環境下で100年程度作品の保存が可能だと言われている。一般的に裏打ちには昔から使用されてきた小麦澱粉糊が用いられる。日本では小麦澱粉糊に布海苔を、西洋では小麦澱粉糊にメチルセルロース(以下MC)を混ぜたりして裏打ちに使用する場合がある。
 文化財修理において重要なことは、作品を安全に長期的に保存することで、作品の状態に合わせて使用する材料を選定する必要があり、材料の科学的な理解が求められる。これまでの研究の傾向を見ると、接着剤の物理的物性や化学的組成に焦点をおいており、実際の修理作業を前提とした研究は非常に少ない。そのため、本研究では材料の科学的特性を見極めるとともに、実際の修理作業での応用を実証することが重要であると考えた。
 本研究では、3種類の各接着剤(小麦澱粉糊(新糊)?布海苔(湯煎加熱抽出)?MC(粘度グレード1500))の濃度、粘度(図.1)、乾燥時間などの基礎的な特性、及び裏打ちに使用した際の接着力(図.2)と柔軟性(図.3)の調査から、裏打ち作業に適した材料と使用方法について考察し、今後修理技術者が活用できるデータを示すことを目的とした。また、現在使用例の少ないMCの装潢文化財修理の裏打ちへの活用の可能性を検討することを目標とした。
 全ての結果を踏まえると、低濃度(0.5%~2.5%)の同濃度で、MCは最も接着力が強く、柔軟性がなく硬い、布海苔は一番接着力が弱いが、新糊より硬い、新糊はある程度の接着力を持つが、他の接着剤より柔らかいと言える。また、同粘度では、新糊、MC、布海苔の順で、接着力が強く、柔軟性が低くて硬いことが確認できた。さらに、新糊は同等の接着力に対して粘度が低く柔らかいが、同等の粘度に対して接着力が強く硬い。布海苔は同等の接着力に対して粘度が高く多少硬いが、同等の粘度に対しても接着力が弱く柔らかい。MCは同等の接着力に対して粘度が低く硬いが、同等の粘度に対して平均の接着力と柔軟性を持つことが分かった。結論として、低濃度のMCは接着力が強く柔軟性が低いことから、裏打ちに使用時に作品が硬くなる可能性を示唆した。そのため、軸装の裏打ちでは使用が適切ではないが、巻く必要のない作品の裏打ちには十分に活用が期待できる。


深井聡一郎 芸術文化専攻長 評
掛軸、屏風などの装潢文化財修復において旧来から使用されている小麦澱粉、布海苔等の伝統的接着剤と、近年用いられるようになったメチルセルロースについて、それぞれの濃度、粘度、乾燥時間を調整し測定した後、製作したサンプルを用い、引張強度試験、剛軟度測定をし比較を行った。これにより掛け軸などの巻物においては布海苔が最も有効ということが明らかとなった。これまで修復家の直感や慣習で用いられていたそれぞれ糊の特性が明らかとなり、修復毎に用いる糊の選択、また海外で用いられているメチルセルロース使用の検討に繋がることが期待できる研究で、後世の研究者?修復家たちにとっての先行研究や修復の指針となりうる本研究は、本学大学院優秀賞に相応しいと考えた。

1. 粘度測定結果グラフ

2. 引張強度試験結果グラフ

3. 剛軟度測定結果グラフ