TUAD Artist in Residence Program 2005
珍しいキノコ舞踊団
「学生ボランティアレポート(1)」 千坂彩
珍しいキノコ舞踊団。あるときは路上パフォーマー、あるときは舞台ダンサー、あるときはワークショップインストラクター。あらゆる場であらゆる人にイマジネーションを提供し、ダンスの楽しさを伝えてゆくパワフルな女性ダンサー7名。スタッフを合わせると15名ほどのダンスカンパニーだ。
12月初旬、そのうちのダンサー5名、音響・舞台セッティングスタッフ1名が、ここ東北芸術工科大学に招かれた。
3年前から着手されている美術館大学構想。その一企画アーティスト・イン・レジデンスは国内外で活躍するアーティストを学内に招いて活動の支援、場の提供をすると共に、学生はアーティストが作品を創作してゆく最も近い場所で、その仕事に触れることができるという双方の刺激を目的とした企画だ。そもそもアートパフォーマンスはこの山形の地ではなかなか体験することができない。今回の珍しいキノコ舞踊団来学は記念すべき第1回目。そして後々には授業の一環として、彼女たちの「ダンス」と学生たちの「作品」をコラボレーションするという企画の先駆けでもあった。
滞在期間約1週。その間に3日間の公開練習と2日間の本番公演。この企画の特に面白いところは、実はキノコのメンバーにとっても初めての試みだったという公開練習だ。観客が劇の幕内に好奇心を寄せるように、アーティストが作品を制作していく過程も同様、好奇心を掻き立てられる。今回それまでも覗き見られるという。
会場はこども芸術大学円形劇場。壁伝いに椅子が並べられ、設けられた客席。個人的な感想になってしまうのだが、日常空間に溶け込んだダンスを想像していた分、その整然と椅子が並べられた空間に少々違和感を感じた。見学者は連日、用意された椅子がほとんど埋まるくらい見学に来ていたが、空間設定によるものか、慣れない企画のためだろうか、好奇心というよりは神妙に様子見という雰囲気が漂っていた。しかし、その雰囲気も彼女たちが練習に没頭していくにつれ薄らいでしまった。練習とはいえ、彼女たちの不思議な一挙一動に惹きつけられる。どこまでも終わり無く繋がっていく動き。それは日常生活のどこかで目にする動きから始まり、非日常的で思いもよらない不思議な動きに展開されていく。その動きを既存の言葉に当てはめるのは難しい。どこからが練習でどこからが休憩か判別がつかないほど彼女たちは常にダンスを纏っている。特に子どもの反応は素直だった。陽気な曲が流れ陽気な動きをすれば食い入るように見、楽しそうに笑顔を浮かべる。学生はというと、自らの創作活動に生かせるものは少しでも吸収するかのように始終真剣な面持ちである。観客がアーティストから作品を介して受け取ることができる感動、刺激はたくさんある。しかしアーティストが自分たちから何を受け取って、どう思ったかまで感じ取るのは難しい。
公開練習最終日。その日は1畳ほどの楽しそうに遊ぶ母子のラフ画が劇場の壁面にずらりと掲げられ、一変した雰囲気の中行われた。こども芸術大学のワークショップに参加した母親と学生スタッフが制作したものである。心なしか前日より明るく軽やかな空気を感じる。練習の中盤、リズムのいい曲に合わせて小刻みに体勢を変えてゆくパートのときである。ダンサーの動きが掲げられた絵とダブって見えた。そして休憩中の会話。「私あの格好真似してみた」「私も。あれが可愛かったから」という声が聞こえてきた。今は観客となっている人たちからアーティストがインスピレーションを得、表現に取り入れる。とても些細なことかもしれないが、はっきりとした相関関係を感じた瞬間だ。作品を創っているのが人ならばそれを観るのも人。ただ作品を見るだけではなく、こちらからアクションを起こせば向こうも何らかの反応を返してくれるという当たり前のコミュニケーション。その“当たり前”が完成した作品のみを観ていると忘れてしまう。公開練習はダンスの練習過程を見るというだけではなく、アーティストと観客の相関関係を知るというとても重要な意味を持っている。彼女たちの練習現場を観て本番を観た人は、本番だけでは感じることの出来ない親近感を感じることができたのではないだろうか。
[美術史・文化財保存修復学科1年]
「学生ボランティアレポート(2)」 渡辺晃子
12月14日、<珍しいキノコ舞踊団>のダンスパフォーマンスもとうとう最終日を迎えた。
今回の舞台は芸工大の学生食堂の1階。ボランティアスタッフはこの日のために約1週間前から学食1階にのぼりとダンスの映像を流すDVDを設置し宣伝してきた。
当日の午後、学食の机と椅子を動かして会場作り。学食の中央に舞台装置の机と椅子がセットされた。前日のパフォーマンスでは、大学の通路に突然現れたテーブルと椅子が唐突な感じがしていたものの、今回は日常の空間と舞台とが調和していたように感じられた。日常の空間で立ち上がる非日常的なダンスを、観客も一緒になって体験し、楽しんで欲しいと望む彼女たちの舞台によりふさわしいものだったと思う。
当日の学食のメニューに「キノコスパゲティー」を加えるという遊び心のある演出の効果か、それとも昨日のインフォメーション・パッサージュでのパフォーマンスの効果であろうか、今回の公演に対する認知度は上がっているようで、公演の時間が近づくにつれて、見物客は増えていった。
観客の殆どが本学の学生のようだったが、中には親子連れなど、学外からやってきたとみられる人も多かった。人の群れがまた人を呼び、最終的には300人近い人があつまっていた。
そうして始まったダンスパフォーマンス。ダンサー達が学食の2階の控え室から階段で降りてくる。既にパフォーマンスは始まっているようだ。観客は早速意表をつかれたようで、学食で休憩しようとしていた学生は、なにがなんだかわからないといった様子だった。舞台装置の椅子に座ってくつろぐダンサー達…と思うとその動きが少しずつダンスへと変化していく。戸惑っていた観客も次第に彼女たちのダンスに引き込まれていく。ダンスを見に来たわけではない人も、おしゃべりを止めて彼女達のダンスに見入る。ダンスを見ながら真剣にメモをとる姿も見られるほどだった。
ダンスが無事終わると、ダンサー達は学食のエレベーターに乗り2階へと去っていった。しかし彼女たちがいなくなった後も拍手は鳴り止むことなく、それは誰からともなくアンコールの手拍子へと変わっていった。パフォーマンスがこれほど盛り上がることはボランティアスタッフにとっても予想外の出来事で、正直に言うと困ってしまった。けれど学芸員の宮本さんが急いでダンサー達を会場に呼び戻し、彼女たちがアドリブでテーブルの上でポーズを決めて、ようやく今回のパフォーマンスは終了した。「すごいね」「かわいい」興奮した話し声があちこちから聞こえていた。
「かわいい」と「滑稽」、「美しい」と「奇妙」は案外隣り合わせに存在するのかもしれない。キノコのパフォーマンスのお茶を飲むという何気ない日常的光景がダンスへと変化していく情景、そして日常と非日常の間で繰り広げられる動きは私たちのこれまでのダンスのイメージを全く覆すものだった。しかし、学生たちはキノコのダンスを肯定的に受け入れた。
キノコのダンスは、なんでもないような日常の動きのようでありながら、美しく、人を惹きつける魅力のあるものだった。私は今回のパフォーマンスを鑑賞することで、美しいものは日常のなかに潜んでいて、それを発掘することができるかどうかは自分次第なのかもしれない、そんなことを考えさせられた。芸術活動に必要なのは、なんでもないようなものの魅力に気付き、こころをふるわせることなのではないだろうか。彼女たちのダンスが芸工大の学生にとって良い刺激になったことを期待する。
今回のパフォーマンスで惜しかった点を挙げるなら、それは舞台の周りにキレイに並べられた椅子が、「舞台」と「客席」との距離を隔てていたように感じられたことだ。キノコが学食の空間となじむような舞台装置を準備していたのに、「客席」を作って彼女たちと観客の間に壁をつくるような準備をしてしまったのは、私たちの理解不足だったと思う。
しかし12月14日の学生食堂が、珍しいキノコ舞踊団のパフォーマンスによって普段とは違った緊張感のある空気が流れ、これまでにない盛り上がりを見せていたことは確かである。ひとの価値観はそれぞれ違っていて、自分が美しいと感じるものを、ほかの人がおなじように美しいと感じるとは限らない。けれどあの空間にいた人々は「美しい・おもしろい」という感情で通じ合えていたように思う。
また、観客の中には新聞を見てパフォーマンスを見にやって来た地元の人もいた。今後も芸工大にアーティストが来ることがあるなら、情報を伝えて欲しいとの事だ。今回のイベントが芸工大の学生だけの盛り上がりではなく、地域の人も巻き込んで成功したという事実を喜ばしく感じる。今回のダンスパフォーマンスは、芸工大の存在が山形の芸術活動を活性化させる一歩となったとも言えるのではないだろうか。
[美術史・文化財保存修復学科1年]
上:滞在スケジュール表を兼ねたイベント告知用ポスター(design:小板橋基希)
下:パフォーマンス風景|『テーブルの周りで。』学生食堂/12月14日[水]17:00−17:30